◆ きゅーぴーさん年表 ◆



きゅーぴーさんに関する誕生から現代までの出来事を表にしてみました。
西暦と年号の変換ミスや、その他間違いを発見されましたら是非遠慮なく
ケイジバンにて教えて下さい。また記載に無い情報もお待ちしています。

1868年(明治元年) アメリカでセルロイド製法誕生
1874年(明治7年) 6月25日 キューピーの生みの親ローズ・オニール誕生
1888年(明治21年) ローズ・オニール(14才)絵でオマハ・ヘラルド新聞の金賞を受賞
1896年(明治29年) ローズ・オニール、一度目の結婚。N.Y.パック誌の専属イラストレーターに
1901年(明治34年) ローズ・オニール、離婚。
1902年(明治35年) ローズ・オニール、2度目の結婚
1907年(明治40年) ローズ・オニール、パリの展覧会で絵画の優秀賞受賞
1908年(明治41年) ローズ・オニール、2度目の離婚。イラストの仕事に力を入れる。
1909年(明治42年) ローズ・オニールが婦人雑誌誌面でキューピーのイラストを発表
「レディース・ホーム・ジャーナル(12月/クリスマス特集号)掲載」
1912年(大正元年) 日本でセルロイド製品の生産スタート

アメリカではイラストから人形のキューピーの要望が強まり、雑誌の
付録にキューピーの「紙製着せ替え人形」をつけたりした。

立体的な人形を製作すべくドイツへ。助手F・カラス氏とデザイン、
試作を開始。試行錯誤の上、ドイツの「ケストナー工房」でビスク製
キューピー人形の生産に着手。
1913年(大正2年) アメリカで初めてN.Y.Borgfeld社がドイツ製ビスクキューピーの人形発売
(やがてアメリカでコンポジションドールの製法が発明され1930年まで作られる)

ドイツでビスクに続き、セルロイドのキューピーの生産もスタート。

同じ1913年、ローズ・オニールの依頼を受けて日本でもセルロイド製
キューピーの第1号
が作られた。
(日本生産の初期のキューピーは原画に近くややスリムで黒い目であったが、
やがて青い目や日本的な眉など独自の表情に。体型はだんだんとポッチャリに)


高価で重く割れやすいビスクに比べ、安価で軽く扱いやすいセルロイド製
キューピーの人気が高まる。ドイツや日本からアメリカへと沢山の
セルキューピーが海を渡って行った。
1914~17年(大正3~6年) アメリカ全土がキューピー狂(キューピークレイズ)時代へ突入!
ケストナーだけでの生産が追い付かず、他の工房でも生産がスタート
1917年(大正6年) 日本でセルロイドキューピー(日本初のキャラクター商品登場)大流行。
東京のデパートにはキューピー用に特設の売り場も出現。
1920年(大正9年) 野口雨情:作詞「青い目の人形」作られる。

『青い目をしたお人形は アメリカ生まれのセルロイド
 日本の港へついたとき いっぱい涙をうかべてた
 わたしは言葉がわからない 迷子になったらなんとしょう
 やさしい日本の嬢ちゃんよ なかよく遊んでやっとくれ
 なかよく遊んでやっとくれ(詞:野口雨情)』

 *アメリカ生まれの青い目のセルロイド人形=キューピーのこと。
 雨情はキューピーをヒントにこの歌を作ったそうだが、実際オニールの
 デザインしたキューピーは青い目ではなく、キューピーはアメリカへと
 日本から輸出していたほどで、アメリカから輸入はほとんどない。
 しかし、キューピーというキャラクターデザインはアメリカから
 やってきたので、イメージ的にはわかる気がする。叙情的な詞で
 なんだか自分のキューピー人形が愛おしくなってくる。
1922年(大正11年) 東京大博覧会でセルロイド製品が金牌受賞
1923年(大正12年) 海野厚:作詞の「おもちゃのマーチ」が作られる。

 『やっとこやっとこ ひとまわり
   きゅーぴーもぽっぽも らったった
 ふらんす人形も とびだして
 ふえふきゃ たいこも ぱんぱらん』


 *他歌詞省略。今でもお馴染みの童謡。
1924年(大正13年) 葛原しげる:作詞/弘田龍太郎:作曲の「キューピーさん」が作られる。

『キューピーさん キューピーさん
 なにに そんなに おどろいて
 おおきな おめを みんな パッと あけて
 しろくろさせて たってるの

 キューピーさん キューピーさん
 なにに そんなに おどろいて
 ごほんの ゆびを みんな パッと あけて
 はだかの まんまで たってるの』


 *おもちゃのマーチに引き続き、キューピーが歌われたことからも
 この時代、日本のキューピー人気の高かったことが伺われる。
1925年(大正14年) ローズ・オニール(50才)初めてのキューピー専門店「ローズ・オニール
・キューピーショップ」をN.Y.に開店。


日本ではキユーピーマヨネーズ発売。
1927年(昭和2年) 第一次大戦の敗戦でドイツのセルロイド生産が減少。原料の樟脳が
豊富だったこともあって日本のセルロイド生産額が世界第一位に。
1930年(昭和5年) 野口雨情:作詞/中山晋平:作曲の「キューピーピーチャン」が作られる。

『ドントナミ ドントキテ ドントカヘル
 チャップナミ チャップキテ チャップカヘル
 ドントチャップ ドントチャップ キューピーチャン
 ピーチャンオクニハ ウミノムカフ
 クルトキオフネニ ノッテキタ

 ドントナミ ドントキテ ドントカヘル
 チャップナミ チャップキテ チャップカヘル
 ドントチャップ ドントチャップ キューピーチャン
 ピーチャンオクニハ ウミノムカフ
 カヘリモオフネニ ノッテユク


1932年(昭和7年) 12月16日東京日本橋にあった白木屋デパート火災。おもちゃ売り場から
出火し、当時全盛だった大量のセルロイドのおもちゃへの引火が原因で
大火災となり、多数の死傷者を出した。
1940年(昭和15年) ローズ・オニール(65才)、笑う仏像「Ho-Ho」発表。
1942年(昭和17年) ローズ・オニール(67才)、高血圧で入院。
日本では鬼畜米英の声が高まり、青い目の人形を焼却。
1944年(昭和19年) ローズ・オニール(69才)4月にキューピーに囲まれて永眠。
1940~45年(昭和15~20年) 欧米へ国産玩具の輸出禁止
1945~52年(昭和20~27年) オキュパイド・ジャパン(占領下日本)の刻印で国産玩具の欧米輸出再開
1950年(昭和25年) 国産プラスチック製造スタート(セルロイド製品減少)
1954年(昭和29年) 日本にソフトビニールキューピーの登場
1955年(昭和30年) 可燃性のセルロイドキューピー製造禁止
1967年(昭和42年) 国際ローズ・オニール協会(IROC)発足。
1994年(平成6年) 国際ローズ・オニール協会(IROC)の日本支部発足。
2004年(平成16年) ローズ・オニールの誕生日 6月25日を世界共通の「ローズ・オニール
・キューピーデイ(キューピーの日)」
に認定



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